『現代生活の画家』第07章「荘厳と栄華」

7、荘厳と栄華 Pompes et Solennités

それだけではなく、トルコは我らの親愛なるG氏に対して、その作品のための驚嘆すべき題材を提供した。バイラムの祝祭という、深遠で光り輝く栄光の奥底には、青ざめた太陽のように、今は亡きサルタンの永遠の憂鬱が現れている。君主の左側には全ての文民将校が、右手には軍人将校たちが列をなす。後者の筆頭には、その時コンスタンチノープルに居合わせた、エジプトのサルタン、サイード=パシャがいる。華やかで荘厳な祭列は、宮殿の隣にある小さなモスクのほうへと延び、その群衆の中には、トルコ人の役人たちが、真の退廃の風刺画といった具合に、奇想天外なまでに肥満した体で、彼らの見事な馬に重くのしかかっている。巨大で重厚な馬車は、ルイ14世の豪華な四輪馬車を思わせるのだが、オリエント風の奇想によって飾られ、光り輝いている。ときおりそこから、奇妙に女性的な眼差しが、顔に巻きつけられたモスリンの布帯の僅かに目に残された隙間から外へと向けられる。熱狂的に踊るのは、「第3の性」の道化たちである(バルザックの滑稽な表現は、まさしくこの場合に適用するのが相応しいだろう。というのも、震える微光のきらめきや、ゆったりとした衣服の動きや、頬や目や眉の燃えるような化粧の下、ヒステリックで痙攣にも似た仕草や、腰元で揺れ動いている長い髪の中に、不可能とまでは言わなくとも、彼らの男性的な特徴を見抜くことは困難であるのだから)。それから、色事にたずさわる女たち(ただし、もしも「色事」という言葉をオリエントに関して発することができるのであればであるが)がいるのだが、その多くはハンガリー人、ワラキア人、ユダヤ人、ポーランド人、ギリシャ人、アルメニア人によって構成されている。というのも、独裁的政府の下では、売春に最も犠牲者を供給するのは、被迫害人種であり、なかでも最も苦しんでいる者たちなのである。こうした女性たちの中でも、ある女たちは自国の衣装である、袖の短い刺繍入りの上着や、垂れ下がったスカーフ、ゆったりとしたパンタロン、反り返ったスリッパ、縞模様やラメの入ったモスリンの衣服といった祖国のあらゆる金銀細工を保っているが、他の多くの女たちは、女性にとっては常に文明の主な印であるモスリンを取り入れながら、その身なりの一部には、オリエントの特徴の淡い面影を残しているので、あたかもパリの女性が仮装しようとしていたかのようにも見える。

G氏は、公式の場の絢爛さや、祭列の荘厳さや、国家的な華麗さを描くことに優れている。それも、こういった仕事の中に金銭のための労役しか見出さない画家たちのように、冷淡に、啓蒙的に描くのではない。広がりや爆発を作り出すような、もしくは軍服や宮廷での衣服の凹凸に雫や火花となってまとわりつくような空間、展望、光に心を奪われた一人の男のあらゆる熱意をもって描くのである。『アテナ大聖堂の独立記念祭』は、この才能の興味深い実例を提供している。小さく描かれた人物たちの一人ひとりが、それぞれ相応しい場所に置かれ、自分たちを取り巻く空間をより深遠なものにしている。大聖堂は巨大で、華やかな壁掛けで飾り立てられている。オットー王と王妃は、壇上に立ち、伝統的な衣装を身にまとっている。彼らの衣装のまとい方は驚くべきほど自然で、帰依の誠実さと、非常に洗練されたギリシャへの忠誠心とを証言しようとしているかのようである。国王は、非常に雅びなギリシャ兵のように、その体を締め付けていて、さらにスカートの裾を広げることで、国民的なダンディスムの誇張を余すところなく示している。彼らの正面に近づこうとする総代司教は、背中の曲がった老人で、真っ白で大きな髭に、緑の眼鏡で守られた目をし、その存在全体に完成された粘液質の印を宿している。この作品にひしめく全ての人物が、それぞれ一つの肖像画をなし、中でも最も興味深いのは、これ以上無いくらいにギリシャ的な要素の欠けた奇妙な風貌をしたドイツ人女性が、王妃の傍らに付き、その用を務めているものである。

G氏の画集の中では、しばしばフランス皇帝を目にすることがある。G氏は、類似性を損なうことなく、皇帝の姿を誤りのない一枚の素描画に変えてみせ、それを花押のような正確さで作り上げる。ある時は、皇帝は閲兵のため、早がけで馬を駆り、その表情が容易に判別できる将校たちや、皇帝も言わばパリ風の敬意を表明してみせるようなヨーロッパやアジアやアフリカなど外国の王族たちを引き連れて、やってくる。またあるときは、テーブルの4つ脚のようにしっかりとした脚の馬の上で、身動き一つせずにいる。その左にはアマゾンの衣装をまとった皇妃がいて、右には皇太子が毛皮の帽子をかぶり、イギリス人画家がその風景画の中に好んで放ちそうなポニーのような、逆毛の小さな馬の上に軍隊風にまたがっている。時には、ブーローニュの森の小道の上、光と埃の旋風の只中に消えていこうとする姿も見られる。また他の時には、聖アントワーヌ界隈の喝采に包まれて、ゆっくりと歩む姿もある。これらの水彩画の中でも、その魔術的な性質が取り分け私の目を眩ませるものが一つある。重厚で王族的なボックス席の縁に、皇妃が静かでくつろいだ様子で姿を現し、皇帝は舞台をもっとよく見ようと僅かに身を傾けている。その下には二人の近衛騎兵たちが軍隊式で、ほとんど宗教儀式のそれでもある直立不動を取り、彼らの輝く軍服の上に照明の光を跳ね返らせている。炎の帯の向こうには、舞台の理想的な雰囲気の中、喜劇役者たちが歌い、朗誦し、調和のとれた身動きをしている。反対側には、淡い光の深淵、もしくは各階の人々の姿で満たされた円環状の空間が広がっている。光と公衆がそこにある。

1848年の民衆の運動と革命結社、そして革命の栄華は、G氏に絵画的趣向あふれる一連の作品を供給し、その大半は「ロンドン画報」に刻まれている。今から数年前、氏の才能にとって収穫の多かったスペイン旅行の後に、同様の性質の画集が制作されたのだが、私はその一部しか見たことがない。無頓着に自己のデッサンを人に与えたり貸したりするため、多くの場合その作品は取り返しようもないまでに消失してしまうのである。

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