『現代生活の画家』第08章「軍人」

8、軍人 Le Militaire

この芸術家の好む題材がどのようなものであるのかを、もう一度定義するならば、それは人生の壮麗さであると言おう。近代的世界の首都において見られるような、軍隊の生活や、優雅な生活、艶やかな生活における壮麗さである。我らの観察者は常に自らの役割りに忠実であり、奥深く性急な欲望である戦争、恋愛、賭け事などの、人間の心にとってのオリノコ河が流れるあらゆる場所に、幸福と不運に関わる重大な要素を描き出す祝祭や幻想がうごめく、あらゆる場所に姿を現す。しかし彼の、軍隊に対する、兵士に対する格別の偏愛を見ると、この愛着は単に、戦士の魂から必然的にその態度や表情のうちへと反映される美徳や長所に由縁するだけではなく、その職業が着用を求める華美な装身具にも由縁する。ポール・ド・モレーヌ氏は的確であると同時に魅力的である文章を幾枚か、軍隊の身だしなみについて、そして全ての政府がその軍隊に着せようとする輝く軍服の精神的な意味について書いている。G氏は喜んでこれらの文章に自分の署名をすることだろう。

我々は既に、全ての時代には、独自の美を表す特殊な用法があるということを話した。そしてまた、各世紀には、言わば、それぞれの個性的な魅力があるということも指摘した。同様の考察は、職業においても適用することが出来る。それぞれの職業は、その職業が従うべき倫理的な規範から、外的な美を引き出す。ある職業においては、その美は力強さによって特徴付けられ、そして他の職業では、その美は明確な無為のしるしを持っているのである。それは喩えるなら、性格の紋章であり、運命の検印なのである。一般的に言って、軍人の美というものは、ダンディや娼婦がそうであるように、本質的に特異な趣向のものである。排他的で荒々しい訓練によって筋肉がゆがめられ、その表情に従属のしるしが刻まれるような職業を、ここで除外しておくが、それも当然だと思っていただけるだろう。驚異に慣れているために、軍人は容易に驚きはしない。美の個別的なしるしは、この場合、軍人的な無関心、もしくは平穏と果敢との奇妙な混合にある。つまり毎分毎分、死を意識する必要から生まれる美なのである。しかし理想的な軍人の表情には、大いなる単純さというものが刻み込まれていなければならない。何故なら、修道僧や学徒たちのように共同で生活するため、人生における日々の不安を抽象的な父性に押し付けることに慣れ、兵士たちは多くの物事において子どもと同じくらいに単純なのである。そして子どものように、彼らは義務を果たした途端に遊び出し、荒っぽい気晴らしに向かおうとするのである。これが誇張でないということを示すためにも、こういった精神的な考察が全て、G氏のクロッキーや水彩画からごく自然に溢れ出していることを断言しておこう。そこには何一つ欠けることなく軍人の様々な種類が揃っており、その全てがある種の熱狂的な歓喜によって描かれている。真剣で悲壮な様子をした歩兵隊の老将校が、肥満した体の重みで、彼の馬を押しつぶしている。ぴったりとした服を着た秀麗な参謀士官が、肩を揺らして迷い無く、婦人たちのいる長椅子まで近付き、身をかがめる。彼の様子は、非常にほっそりとして非常に優雅な昆虫を思わせる。それからアルジェリア兵などの現地兵。彼らの歩き方には、過剰なまでの勇敢さと独立心の性格という、個人の責任についての非常にはっきりとした感情にも似たものが表れている。敏捷な騎兵の、軽快で陽気な鷹揚さ。砲兵や工兵のような特殊部隊の、どことなく教師や学者のような感じのする表情。その特徴はしばしば眼鏡というまったく兵士らしくない道具によって強調されている。こういったモデルたち、こういった微妙な特徴の内、何一つとして見過ごされてはおらず、全てのものが同一の愛情、同一の精神によって要約され、定義されているのである。

今私の目の前には、歩兵縦隊の先頭を描いた、誠に英雄的な全体の様子についての作品の一つがある。おそらくこの者たちはイタリアから戻ってきて、大通りでの行進の途中、群集の熱狂を前に立ち止まっているのだろう。おそらく彼らはロンバルディアの行路での長い旅程を成し遂げたばかりなのだろう。それは私の知るところではないが、明らかなこと、はっきりと理解出来ることは、平穏の中においてさえも堅固で果敢な性格を、彼らの太陽と雨と風に日焼けした顔が全て示していることである。

これこそが、従属と、集団での苦痛の我慢によって作り出された表情の統一性、長い疲労という試練に立たされた勇気の耐え忍ぶ姿なのである。ズボンは折り返されゲートルに覆われ、外套は埃であせて、いくらか色落ちし、部隊全体が遠くから戻ってきた者、異国の冒険から駆けつけて来た者の打ち壊しがたい様相を持っている。全ての男たちが言わば腰の上にまっすぐ身を固定し、両足の上にしっかりと身を落ち着ける様は、他の人間には真似することが出来ないだろう。常にこの分野の美を追い求め、多くの場合それを見出してきたシャルレが、もしもこのデッサンを見ていたならば、彼はとりわけ驚いたに違いない。

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