『現代生活の画家』第13章「馬車」

13、馬車 Les Voitures

このようにして、無数の枝分かれによって中断されながらも、この上流階級と下層階級についての展示会は続いていく。しばしの間、純粋とはいえなくとも、より洗練された別の世界へと移ろう。おそらく健康的ではないのだが、より繊細な香りを吸い込もう。先に述べたように、G氏の筆はウージェーヌ・ラミの筆と同じく、ダンディスムの壮麗さや伊達男の優美さを表現するのに、見事なまでに適している。豪奢な様子は彼にとって親しみ深いものである。絵筆の軽やかなタッチで、決して間違えることの無い確かさをもって、特権的な人物における、幸福の中での単調さがもたらした確固たる眼差し、仕草、姿勢を描くすべを知っている。この独特な素描集では、幾千もの側面から、スポーツ、競馬、狩り、森の散歩といった出来事が再現される。それから、傲慢な淑女たちや、やせ細ったミスたちが、しっかりとした手で操る、見事な曲線美を持つ純粋種の競走馬は、それ自身も女たちと媚びていて、輝かしく、気まぐれである。というのも、G氏は馬全般について知っているのみならず、巧みに馬の個性的な美を描き出すことにも取り組んでいる。あるときには休息中の馬たちを描き、言うなれば、無数の馬車の野営であり、そこでクッションや長椅子や屋根の上によじ登っている、細身の若者たちや、その季節の権威をもった奇抜な衣装をまとった女性たちは、遠くへ立ち去っていく壮麗な競走馬を眺めている。またあるときは一人の騎手が、幌をはずした小型馬車の脇を、優雅に駆けていき、その馬はクルベットのポーズによって彼なりに挨拶をしているように感じられる。馬車は光と影が縞模様を描く小道の中を大急ぎで、揺り籠の中にいるかのように横たわっている物憂げな美女たちを運んでいく。彼女たちはぼんやりと、耳に落ちてくる甘いささやきを聞き、倦怠と共に散策の風に身を任せている。

毛皮とモスリンが彼らの顎にまで達し、浮橋の上を通る波のように溢れている。従者たちはごつごつとして直立不動で、みな生気なく互いに似通っている。これもまた、正確で規則正しい卑屈さの、単調で特徴のない肖像画である。彼らの特徴は、特徴を持たないというところにある。奥のほうでは季節に応じて、木々が緑になったり赤になったり、埃っぽくなったり陰気になったりしている。その隠れ家には、秋の霧や、青白い陰、黄色の光、バラ色の光彩、もしくはサーベルで断ち切るように暗がりを切り裂く細い輝きなどが満ちている。

もしも東方戦争に関する無数の水彩画が、風景画家としてのG氏の力量を私たちに見せていなかったとしても、これらの水彩画だけでも間違いなく十分だろう。ただしここではクリミア戦争によって引き裂かれた大地や、ボスフォラスの劇的な岸辺を問題としているのではない。一つの大都市を取り囲む装飾をなしている、あの親しみ深い馴染みの風景へと戻ろう。そこでは光が、真にロマン主義的な芸術家であれば見逃すことの出来ない効果を投げかけている。

もう一つの長所について、この場で観察するのも無駄ではないだろう。それは馬具と馬車についての卓越した知識である。G氏は馬車を素描し、彩色するのは、そしてあらゆる類の車を描くのは、熟練の海洋画家があらゆる種類の船を描くのと同じ注意と同じ自然さによるものである。馬車全体が完全に教義にかなっている。どのような状態に置かれても、どのような歩みによって走らされても、一台の馬車は、一艘の船と同じように、不思議で複雑な、速記するのが非常に難しい魅力を、その運動に負っている。芸術家の眼がそこから受け取る快楽は、船舶にしろ馬車にしろ、この複雑な対象が続けざまにすばやく空間の中に生み出す、一連の幾何学的な図像から引き出されているように思われる。

間違いなく保証できるのだが、数年のうちにG氏のデッサンは、文明化した生活の貴重な記録となるだろう。彼の作品は、愛好家たちによって、ドゥビュクール、モロー、サン=トーバン、カルル、ヴェルネ、ラミ、ドゥヴェリア、ガヴァルニといった、親しみがあり可愛らしいものしか描かないことで、それなりに真剣な歴史家となってい卓越した芸術家たち全ての作品と同じように捜し求められることだろう。彼らのうちの多くは、可愛らしいものに身を任せ、ときには彼らの作品の中に、主題にはそぐわない古典主義的様式を持ち込んでしまっている。多くの者たちが意図的に角を丸め、生活の荒々しさを平らにし、稲妻のような輝きを弱めてしまっている。彼らほどには巧みでないが、G氏はまぎれもなく彼自身のものである深遠な長所を保っている。他の芸術家たちには敬遠されるが、とりわけ世界人が果たすに相応しい役割を、彼は心から果たしている。彼はいたるところに現在の生活における一時的な、逃げ去る美を、すなわち現代性と呼ぶことを読者にお許しいただいた性質のものを探している。しばしば奇妙で、暴力的で、過剰ではあるが、しかし常に詩的な彼は、そのデッサンの中に人生という酒の苦く刺激の強い味を集めているのである。

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