『超!ボードレール入門』06「2007年『悪の華』オルセー美術館」

*『悪の花』150周年記念講演、その1 [#r22d356d]
2007年10月2日

パリ、オルセー美術館

アンドレ・ギュイヨー

オルセー美術館の地下で、夕方7時から講演会は始められた。まだパリの空は明るい。一つだけ開いていた入り口から、美術館の中へと入る。入場料は無料。階段を下りると、荷物検査。なんだかものものしいな・・・。演奏会もできそうな定員300名ほどの会場には、少なくとも100人以上の聴衆が既に詰めかけている。年齢層も幅広く、パリという土地におけるボードレールへの関心が、いまなお健在であることをはっきりと物語っている。もしくは、オルセーにおける無料講演会、ソルボンヌの現役教授による講演会、というのが人を惹きつけているだけなのだろうか?

さて今回の発表者、アンドレ・ギュイヨーは、パリ4大学、いわゆる「ソルボンヌ大学」の教授。ランボー、ボードレールを初めとして、19世紀のフランス詩について厳密な研究を続け、この分野の研究者で彼を知らない人はまずいないだろう、という大家である。日本人の留学生も多数、彼に付いて研究を行っている。

今回のテーマは、「腐屍」Une
Charogneという『悪の花』の一詩篇だ。オルセー美術館、ということもあり、美術作品を通したボードレールの詩の分析が展開される。

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まずは、ナダールによるカリカチュア。ボードレールを表現する形容詞を3つ挙げるとするならば、「レアリスト」、「精神主義」、「耽美派」というような感じだろうけれど、ナダールによるボードレールの絵を見ると、中でも「レアリスト」としての側面がよく表れている。「腐屍」というのは、腐った犬の死体を描写した詩篇なのだけれど、ナダールの風刺画において、ボードレールは、犬の死体を見て、驚きの余り両手を宙に挙げながらも、そしてのけぞりながらも、その目は死体に向けて凝視している。この作品が、いつの時代のナダールの筆によるものなのかは、いくつか仮定が立てられるものの、1860年前後のボードレールに対する、世の人びとの賛辞と嫌悪が入り混じった、見事な風刺画といえるだろう。当時ボードレールはナダールに手紙を書いている。「私を『腐屍の帝王』と呼ぶのは止めてくれ!」(1859年5月14日)と。

その一方で、セザンヌの作品、というか作品のための素描どまりの下絵では、ボードレールのこの「腐屍」は、もっとダンディーな感じに描かれている。クールな衣装をまとったボードレールが、ステッキの先で犬の死体を指し示しながら、隣に立っている女性に、それを解説して見せているようだ。

さらにはロダンのデッサンになると、その精神主義ははっきりとしている。描かれているのは、犬の死体ではなく、そのイメージが象徴している、人間の生、つまり恋の短さ。犬ではなく、女性の死体が描かれるのみ。もっとも端的な解釈の一つだろう。詩篇が訴えかける、生と死の緊張感がなまなましくも表されている。

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そして4つ目にはモンク。ロダンほどの直接的な表現ではないけど、象徴的に、ボードレールの精神をはっきりと描き出す。地上では、恋人たちがつかの間の恋に身を任せ、地上の遥か下では死体が眠る。

この「腐屍」という詩篇は、発表当時から、その行き過ぎた「レアリスム」によって話題となり、ボードレールを語る上で欠かす事のできない作品となってきたことは明らかだ。ボードレール嫌いの人たちは、この詩をこけおろし、ボードレール擁護派も、結局はこの詩について何か言わずにはいられなかった、そういう論争の的になった詩篇なのである。

4つの絵画を見るだけでも、ボードレールに対する様々な認識が溢れていたことがよく分かる。一つの解釈でおさまるのではなく、常に多数の解釈を批評家たち、いや、芸術家たちに強いてしまっていたのが、ボードレールの作品の魅力なのだろう。

『悪の花』発表150年を迎えた今年、今後いかなるボードレールについての認識が生まれていくのか楽しみである。発表が終わったとき、会場を見渡すと、150人近くの聴衆が集まっていた。この国におけるボードレール研究は、まだまだ熱い事象であるようだ。

#navi(オルセー『悪の花』)

*『悪の花』150周年記念講演、その2 [#v82d2752]

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それでは第2回目の「オルセー美術館『悪の花』講演会」の報告です。日時は2007年10月9日(パリはあいにくの曇りのち雨でした…。)夜7時から。最近、日に日に夜の訪れが早くなっていくのを感じます。日が傾き始めた6時半、講演開始の30分前にオルセー美術館へと到着すると、既に行列ができていました。

しばらくすると入り口が開き、前回と同じようにして、荷物チェックのゲートを越えて、地下の講演会会場へと向かいます。

今日の発表者はロベール・コップ(Robert
Kopp)。『小散文詩』(『パリの憂鬱』)の校訂版などで知られるボードレール研究者。発表題目は、『「パリ風景」:マネ、ボードレール、ギース』。前回の講演もそうだったのですが、基本的には市民講座という感じで、そこまで専門的で難しい話は出てこなく、研究者ではない「ちょっとボードレール好き」という人でも十分楽しめるような講演、というのが全体の印象です。ですから質疑応答のようなものもなく、約1時間の講演が終わると、「あー面白かった」とすぐに聴衆の皆さんは引き上げていきます。

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会場に聞きに来ている人たちは、今回も100人を軽く越えていました。年齢層は高めです。ロベール・コップも今や、おじいちゃん(?)。少し大柄で、温かみのある雰囲気。ゆったりとした声で、身振り手振りをまじえながら、ボードレールの「物語」を僕らに語ってくださいました。

『悪の花』初版の出版までの経緯。そしてその後の裁判までの過程。散文詩と『悪の花』第2版の、計画と実現。『現代生活の画家』の執筆、晩年のベルギー生活。つまりは『悪の花』初版の出版直前から、その後の10年くらいのボードレールの創作活動を軸にして、そこにドラクロア、ドーミエ、ギース、マネといった画家たちの絵画とボードレールの詩との対応関係とが、次から次へと紹介されていきました。用いられた絵画作品のスライドは、50枚近くになったのではないかと思われます。

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「白鳥」において「古きパリはもうない、都市の姿は、ああ!死すべき人の心よりも速く変わり行く」と歌ったボードレールは、近代化という現象をいち早く「詩」に取り込んだ詩人でした。彼が賛美したドラクラアという画家は、彼にとって偉大でありつつも、古きロマン主義を代表する歴史画家であり、ボードレールの模索する「現代性」を体現していた人物ではなかったのでした。小説の分野であればバルザック、そして絵画の分野であげるならば、風刺画家のドーミエが現代的な芸術家なのです。たとえばドーミエは、都市におけるコレラの流行を描いた右のような作品を残しています。しかし彼らもまた一世代前の芸術家であり、1821年に生まれ第二帝政の時代を生きるボードレールは、同世代の中に、自分の分身ともいうべき画家を探していたのです。

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例えばメリヨンという版画家がいます。左にあげてあるようなLa
Morgue死体公示所を描くなど、パリの現代性に注目していた画家です。ボードレールは彼と交流を深め、一時は絵画と詩とのコラボレージョンを共同制作しようと試みるのですが、意見がかみ合わず、計画は頓挫してします。

もしくはコンスタンタン・ギース。イラストレーターとして、クリミア戦争の最中にあったトルコへと向かい、ロンドンの新聞に掲載する版画の下絵とするために、戦地のスケッチを描く生活を送ったのち、フランスでは娼婦や馬車などをモチーフにして、現代生活を描き続けた画家です。彼についてボードレールは『現代生活の画家』という作品を残しています。ただしギースの作品は、「芸術作品」というよりは、あくまで「デッサン」でしかなく、ボードレールが賛辞すべき真の現代性の体現者とは言いがたいのです。

それでは誰が? そしてロベール・コップ先生は、話のまとめに入ります。真の現代生活の画家、それはエドゥアール・マネである、と。1865年5月11日にマネに宛てた手紙の中で、ボードレールは「あなたは、芸術の退廃における第1の人物に過ぎない」という(このような遠まわしな言い方は、いかにもボードレール的なのですが)最上級の賛辞を送っています。しかしマネが次々と都市風景を描いていった1870年代には、ボードレールはもはや地上にいませんでした。しかしボードレールが、例えば次のようなマネの絵画を見ることが出来ていたなら、おそらく満足を感じたはずです。

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さて、コップ先生はボードレールの晩年におけるベルギーでの悲惨な生活にも触れていました。先ほどのマネへの手紙にあるように、ボードレールは同世代を「芸術の退廃」期として認識していました。芸術は進歩するのではなく、次第に退廃していくだけでしかないということです。散文詩「後光喪失」で、天使のわっかをなくしてしまった天使は、人々からの賞賛を失った詩人でもあります。また「鏡」と題する散文詩で、自らの醜悪な姿を鏡に映して満足している人物は、浅はかなジャーナリスムや安っぽい物語の象徴なのでしょう。悲しくもボードレールは、自らの意志を託すべき芸術家を見出せないまま、悲惨な生涯を終えたのです。しかし、マネによって、その意志は受け継がれていったとのは確かなのです。

さて、最後の方のコップ先生のまとめ方が、すこし作りすぎている気もしましたが、現在のボードレール研究における共通認識というものを分かりやすく話してくださったという点で、最後まで素晴らしい講演内容であったように思います。

会場を出ると、もう夜。雨が降りはじめていました。

#navi(オルセー『悪の花』)

*『悪の花』150周年記念講演、その3 [#t2dccbae]

2007年10月16日。今回の講演者は、コレージュ・ド・フランスで教壇に立つアントワーヌ・コンパニョン。近年は『反・現代』Les
Antimodernesという著作によって特に有名な、大人気エリート学者による発表、今日は立ち見か?!と思いきや、いつもどおりの人の入り。おそらく毎回同じ人たちが講演会を聞きに来ているのだろう。講演者によって聴衆の数が増減するわけではないらしい。

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コンパニョン氏による講演のテーマは、『悪の花』における「海」。おもいっきりテーマ批評。発表者によってアプローチの仕方が毎回全然違うのが楽しい。コンパニョン氏は、ボードレールの作品における海のモチーフを、クールベやドラクロアなどの同時代の画家の作品と結び付けながら、展開していく。ただし講演で用いていた絵画作品の特定が難しかったので、絵画の部分は大幅カットせざるをえない。そこで、コンパニョン氏が以前に出版した『ボードレール―無限を前に』の第4章「海の巨大な笑い」という、今回の発表の素ネタを要約することで、講演会の報告に代えさせていただきたいと思う。

ボードレールの描く「海」には「良い海」と「悪い海」とがある。「良い海」というのは、例えば「髪」の中に描かれる「海」のように、ある狭い領域の中に隠された広大な海、有限のなかに宿る無限の世界であり、それを覗き込む者に陶酔をもたらす。ボードレールは『赤裸の心』の中で次のようなことを書いている。少し引用することをお許しいただきたい。

>どうして海の光景は、これほどまでに無限に、永遠に、快く感じられるのか?
それは海が、一度に広大さと運動との観念を与えてくれるからだ。6・7里の距離が人間にとって無限の輝きを表現している。これこそが縮小された無限というものだ。完全な無限の観念を仄めかすということで十分ではないか。12もしくは14里(直径にして)、12もしくは14里の揺れ動く液体は、人間がその仮の住まいにおいて許された美についての、最も高次な観念を与えるのに十分である。

このボードレールの文章は、コンパニョンの論文「海の巨大な笑い」における核となっている。「海」と「永遠」、そして「数」。12もしくは14という「数」は、アレクサンドランの12音節と、ソネの14行とに一致するために、詩そのものをも指し示し得る。たとえばアレクサンドランによる1篇のソネ。それは横12×縦14という有限の領域の中に描かれた無限である。

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以上がボードレールにおける「良い海」の系列であるとすれば、「悪い海」とはどのようなものか?「良い海」の二つ特徴である「広大さ」と「運動」のうち、「運動」を失ってしまった海は、「癒しがたき者」の中に見られる。ただし「海」として『悪の花』に現れるのはこの詩篇においてくらいで、他の詩篇には見られない。その代わり、「深淵」gouffreという言葉によって「悪い海」は繰り返し『悪の花』の中に登場するのである。例えば「人と海」においてそうであるように、海の中に広がる深淵というのがごく普通の「深淵」のイメージではあるが、コンパニョンは「平らな深淵」の存在を指摘する。「深淵」と題する詩篇の中に「高みにも、下にも、いたるところに、深さ、砂浜」En
haut, en bas, partout, la profondeur, la
grèveという一行がある。砂浜を深淵の一つとするのは意外かもしれないが、深淵と言うのは、何も垂直方向に果てしなく続くだけでなく、水平の方向に無限の広がりを持つものでもある。「七人の老人たち」の最後で、岸辺のない海の上を彷徨う光景は、まさにこの水平な深淵が与える苦しみを描いているだろう。

この「悪い海」が、人間の精神を直接的に象徴しているのが、「妄執」における「海の巨大な笑い」という一節。アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』からド・クィンシーの著作を経て、ボードレールの目に留まったと推定されるこの表現では、「笑い」という人間的なもの(それゆえに善でもあれば悪でもあるという二重のもの)と、海とが結び付けられている。そしてまた「巨大な」énormeという形容詞によって、規則、尺度、釣り合いをはずれたものという意味を持ち、ここでコンパニョンの重視する「数」にもまた結びつく。

ただし「良い海」と「悪い海」というのも、結局のところ「海」という一つの対象に対する異なる認識の仕方に過ぎない。「良い海」が唐突に「悪い海」に変化してしまうこともある。同様に、群衆の中を泳ぐように歩き、それを楽しんでいた人物が、突如人間の顔が持つ暴君のような支配力に襲われることもある。結局のところ、コンパニョン氏によるボードレール的「海」の認識は、この二元論に収まろうとしているように思われる。

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*『悪の花』150周年記念講演、その4 [#b469233e]

いよいよ今回でオルセー美術館での『悪の花』講演会シリーズは最終回。最後を飾るのは、紅一点のエレーヌ・ヴェドリーヌ(Hélène
Védrine)女史(「女史」なんて今どき使わないなあ…?)。実は僕もこの方を知らなかったのだけれど、まだ40歳くらいでソルボンヌの助教授を務めていて、文学と絵画の横断的な研究をしている方らしい。オルセー美術館と『悪の花』とのコラボレーションという今回の企画において、まさに打ってつけの人材なのである。

発表題目は「『悪の花』の挿絵―ロップスからマティスまで」というもの。『悪の花』の挿絵を描いた数々の画家たちを一挙に紹介していただいた。絵画に疎い僕にとってはお世辞なしで本当に勉強になった。

『悪の花』第2版の出版に当たって、ボードレールとその相棒とでも言うべき出版者プーレ・マラシとは、挿絵の挿入を検討していた。まず白羽の矢が刺さったのが、フェリックス・ブラックモン(Félix
Bracquemond)。3度ほど、彼に扉絵を描かせてみたのだが、どうも気に入らない。仕方なく、挿絵は取りやめになり、この画家の筆によるボードレールの肖像画のみを詩集の巻頭に載せることになった。

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その後二人は、ついに理想としていた画家を見出す。それがかのフェリシアン・ロップス。ボードレールの死の一年前、1866年に出版された詩集『漂着物』Les
Epavesには、右に挙げたロップスの描く扉絵が飾られる。この絵は、ただ単にグロテスクで幻想的な作品だというわけではなく、ボードレールが好きそうな寓意的意匠に溢れている。例えば、下のほうに羽の生えた動物の骸骨があるのが分かるだろうか。これはペガサスの骸骨(ペガサスの骸骨なんて他所ではなかなか見ないな…)。それから、木の上にはボードレールの横顔とともに、(分かりにくいけど)キマイラが留まっている。ペガサスは「美徳」の象徴、キマイラは「幻想」の象徴。伝統的な寓意画では、ペガサスがキマイラを打ち負かし、「美徳」の「幻想」に対する勝利を描くのが普通なのだが、ロップスの場合はそれが逆転してしまっている。「幻想」万歳!こうして、『悪の花』の持つ、退廃的で、かつ反社会的な側面が強調される。

その後19世紀後半には、芸術家たちの間で、『悪の花』の原書の空白に直接、自分で挿絵を描いていくのが流行する。ロダン(Rodin)もそのうちの一人で、幾つもの詩篇に挿絵を描いたものが、その死後、20世紀になって出版されている。面白いことに、あの有名な「地獄の門」に用いられているイメージの幾つかが、既に『悪の花』の挿絵として現れており、ロダンにとってボードレールの受容が創作における重要な過程であったことが窺える。例えば、『悪の花』の一詩篇である「宝石」のために描かれたイラストは、例の「考える人」となり、「美」のためのイラストは「瞑想」という作品に繋がる。他にもルドンRedonなども、『悪の花』からインスピレーションを得た作品を残している画家として知られるが、ここでは割愛。

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1896年ごろ、デカダンスの真っ只中の世紀末に、『悪の花』挿絵入り本の出版計画が、同時に二つ持ち上がる。それぞれの企画のために、二人の画家が選ばれた。一人はラッセンフォッスRassenfosse。左に挙げた絵は、彼によるボードレールの詩篇「美」のための挿絵である。あんまり知られていない画家だけど、良い仕事をしている。なんと、このラッセンフォッスによる挿絵入り『悪の花』が、[[フランス国立図書館のサイトGallicaにおいて公開:http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k71827w]]されている。便利な世の中だ。

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そして、もう一人がカルロス・シュワッブ(Carlos
Schwabe)というスイス人の幻想画家。(わたし廣田の個人的にかなりはまった。)今までこの作家の作品を見たことがなかったのが恥ずかしい。まずは詩集の冒頭に飾られた扉絵が右のもの。ロップスの退廃的な寓意画とは、まったく趣向が異なるシュールな作品だ。

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さて、シュワッブにより詩篇一つ一つに宛てられた挿絵は、もう少しグロテスクなものが多い。美と醜とが混在し、『悪の花』の世界観が独自の手法で表明される。左の挿絵は、「夕べの薄明かり」Crépuscule
du soirのためのもの。ボードレールの作品自体も、夜が人の姿を取って、その両腕で町全体を覆いつくすような描写だったかと思うが、シュワッブはそれを視覚的に再現する。

その他には、ルオー(Rouaut)という画家も『悪の花』の挿絵を描く。そして、このルオーの友人であったマティスもまた、『悪の花』の挿絵に対して情熱を傾けた画家の一人であった。

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まず若い頃には右のとおりの「豪奢、静謐、欲望」という題の作品を描いている。これはボードレールの「旅への誘い」で繰り返される詩句からとったもの。その後1940年代になると、マティスは本格的に『悪の花』の挿絵に取り掛かる。初期の印象派的な作風とは異なり、無駄な筆を排除した線のみによるシンプルな版画により、女性の顔を幾つも描き、それを『悪の花』の詩篇の挿絵とした。しかし、ここで思いがけないトラブルが起きる。完成した作品を印刷屋に預けておいたところ、酔っ払ったこの印刷工が、作品を駄目にしてしまったそうだ。運よく作品は写真撮影してあったので、そこから版画を作ったのであるが、当初の勢いは弱まってしまった。この失敗を乗り越えて、マティスは新たに一から版画を作り直す。例えば、詩篇を飾る女性のイラスト以外にも、次のようなボードレールの肖像画もある。

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アラゴンが評して言うには、マティスの版画は、第1作目よりも第2作目のほうが、悪魔的な美しさが高まっているとのこと。「悪魔」Satanというのはもちろん、ボードレールにおいて男性的な美の象徴であるので、そうとうな賛辞といえるだろう。初版での挫折から、第2版での成功というのは『悪の花』そのものが出版当時に辿った運命とも重なり合う。世に対して激しい主張を訴えかけ、人々を魅了したこの詩集の精神は、同じような感性を共有する後の世代の画家たちによって、受け継がれていったわけである。