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ボードレール

ボードレールとは?

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詩人。パリに生まれる。文学と絵画に深い造詣を持つ教養人であった父は、詩人がわずか6歳の時に他界、夫よりも30歳以上若かった母は、その2年後、陸軍少佐オーピックと再婚する。特にラテン語をはじめ成績優秀であったが、18歳の時には周囲の文学青年たちと放蕩な生活を送るようになる。将来を案じた継父によって、インド旅行へと追いやられるが、途中の寄港地に滞在した後、フランスへ帰国。この南国体験のイメージは、後の詩作の中にも現れる。その後はサン=ルイ島のピモダン館にて実父の遺産を蕩尽してダンディスムを実践した生活を送る。生涯連れ添うことになった混血女性ジャンヌ・デュヴァルともこの時期出会う。しかし1842年、遺産の半分近くを既に使い果たした息子に対し、母親が準禁治産の訴訟を起こしてからは、借金に苦しむ悲惨な生活が死ぬまで続く。

ボードレールは、まず評論家、翻訳家として活躍した。『サロン評』(Salon, 1845, 1846, 1859)をはじめとした絵画批評では、ドラクロワの現代性を賞賛し、音楽の分野でも、フランスにおいていち早くワーグナーを評価、またユゴーやフローベールなど同時代の作家たちについても鋭い分析を残している。翻訳家としては、エドガー・アラン・ポーの小説をほぼ全訳し、フランスにこの特異なアメリカ人作家の存在を知らしめた。また、トマス・ド・クインシーからの翻訳を含む『人工楽園』(Les Paradis artificiels, 1860)では阿片の服用による幻覚に詩的イメージを見出した。

詩人として名を博すのは、書き溜めてきた詩篇を詩集『悪の花』(Les Fleurs du Mal)として出版した1857年のことである。しかし風俗壊乱の罪に問われ、罰金および全101篇中6篇の削除が命じられる。この処置を不服とした詩人は1861年、これら禁断詩篇の価値を遥かに凌ぐ32篇を増補した『悪の花』第2版を出版。また、この頃から本格化する散文詩への関心は、パリという都市から生まれる現代的な感覚を詠った『パリの憂鬱』(Le Spleen de Paris, 1869)において実を結ぶ。これらの詩篇の中でボードレールが追い求めた「現代性」の思想は、『現代生活の画家』(Le peintre de la vie moderne, 1863)や、死後出版の手記『赤裸の心』(Mon coeur mis à nu, 1887)、『火箭』(Fusées, 1887)の中にも読み取ることが出来る。晩年には、ヴェルレーヌやマラルメら次世代の詩人たちが送った賛辞の声にも気をとめず、書きかけの作品『哀れなベルギー』(Pauvre Belgique)を残したまま、滞在先のベルギーにて1866年に卒倒し、以降半身不随、失語症の身となり、翌年パリにて死去。その悲惨な生涯において絶えず「美しさ」と「新しさ」を模索し続けた詩人の生き様と、そこから生まれた詩句の数々は、象徴派をはじめとした後世の詩人たちに比類ない影響を及ぼし、フランス近代詩の源流となった。

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