ステファヌ・マラルメ
「ギィ・ド・モーパッサン」

Stéphane Mallarmé, « Guy de Maupassant », le 8 mars 1893



(*翻訳者 足立 和彦)

「ギィ・ド・モーパッサン」掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF 解説 1893年3月6日、コメディー・フランセーズでモーパッサンの戯曲『家庭の平和』が上演されたのに合わせて、8日、日刊紙『エコー・ド・パリ』は、別冊付録でモーパッサンの特集を組み、多数の作家がモーパッサンについてコメントを寄せた。以下にステファヌ・マラルメの回答を訳出する。
 ステファヌ・マラルメ (1842-1898) は詩人。パリ出身。1860年代、ポーやボードレールの影響のもと、トゥルノン、アヴィニョンで英語教師を勤めながら詩を執筆し、高踏派の詩人らと交流した。普仏戦争後にパリに出た後も、定年まで高校に勤務を続ける。
 1884年、ヴェルレーヌ『呪われた詩人たち』、ユイスマンス『さかしま』による紹介で広く知られるようになり、青年詩人たちの指導者的立場に立つ。「火曜会」には、マラルメを慕う芸術家たちが集った。作品に『半獣神の午後』(1867)、『パージュ』(1891)、『詩と散文』(1893)、『ディヴァガシオン』(1897)、『賽の一振り』(初出:1897 ; 1914)など。また、エドガー・アラン・ポーの詩篇の翻訳 (1888) がある。

 1870年代、詩人を志していたモーパッサンは、カテュール・マンデス編集の雑誌『文芸共和国』を通じてパルナシアンと交流し、その際にマラルメとも知り合っている。1880年代にも一緒にボートに乗るなどの交流があったことを、従者フランソワが書き記している(『新 内密な思い出』)。だが、モーパッサンが詩人から何らかの影響を受けた形跡は見られない。
 モーパッサンが亡くなった後、マラルメは「追悼」を執筆し、「文学的ジャーナリスト」としてのモーパッサンの才能を(多少の留保をしながらも)評価している。


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ギィ・ド・モーパッサン


 天賦の才能のゆえに、私は彼を賞讃する! 忘れられないことだが、余暇のあいだに、本能的に私の選択は一冊のモーパッサンの作品へと向かったもので、それは眼差しに風を入れ、ただ読むための清澄な読書をするためだった。文学者にとっての魅力は、そこでは〈生命〉の奔流が文体を流し去っていないことであり、それはむしろ味わい深い混淆であって、言葉の介在を通して、その言葉の価値とともに、生命は現れるのである。この作家、日常の語り手は、純血である。――ステファヌ・マラルメ


ステファヌ・マラルメ「ギィ・ド・モーパッサン」、『エコー・ド・パリ』、1893年3月8日 付録モーパッサン特集
Stéphane Mallarmé, « Guy de Maupassant », L'Écho de Paris, supplément « Guy de Maupassant », 8 mars 1893.

(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)


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