エミール・ゾラ
「ギィ・ド・モーパッサン」

Émile Zola, « Guy de Maupassant », le 8 mars 1893



(*翻訳者 足立 和彦)

「ギィ・ド・モーパッサン」掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF 解説 1893年3月6日、コメディー・フランセーズでモーパッサンの戯曲『家庭の平和』が上演されたのに合わせて、8日、日刊紙『エコー・ド・パリ』は、別冊付録でモーパッサンの特集を組み、多数の作家がモーパッサンについてコメントを寄せた。以下にエミール・ゾラの回答を訳出する。
 エミール・ゾラ(1840-1902)は作家。パリに生まれ、幼少時をエクス゠アン゠プロヴァンスで過ごす。パリに出て、アシェット書店に勤務しながら文学修業を行った。1867年『テレーズ・ラカン』出版。
 60年代末から実証主義、実験医学を基礎に据えた新しいリアリズム「自然主義」の理念を提唱し、『実験小説論』(1880)他で文壇に論争を巻き起こした。理念の実践として、71年より全20巻からなる小説『ルーゴン=マッカール叢書』の執筆を開始。民族、環境、時代が人間を決定づけるとするテーヌの決定論を土台として、アデライード・フークの子孫からなる一族の盛衰のもとに、第二帝政下のフランス社会の全体を描き出す。下層の労働者を描いた『居酒屋』 (1877)、娼婦の世界を描く『ナナ』 (1880)、農民を取り上げた『大地』 (1887)、鉄道の世界を舞台とする『獣人』 (1890) 等が特に名高い。
 叢書完成後、宗教を取り上げた『三都市』(1893-1898)、その続編として、従来のペシミズムの克服を志した社会主義的小説『四福音書』(1898-1902) の連作に取り掛かるが、後者は3冊までの完成に終わった。
 ドレフュス事件に関わり、1898年1月13日『オロール』紙上に「我弾劾す」の記事を発表し、ドレフュス擁護の陣営に立つ。事件が混迷を深めるなか、ゾラは一時ロンドンに亡命した。1902年9月、パリにて死去。煙突が詰まっていたために一酸化炭素中毒になったとされるが、暗殺されたという噂は絶えない。

 モーパッサンは1875年頃、フロベールの仲介でゾラと知り合った。ゾラのもとに集う青年たちと共に1880年に共作短編集『メダンの夕べ』を発表する。所収の短編「脂肪の塊」によってモーパッサンは小説家として名を挙げ、職業作家の道を開くことになった。
 ゾラとの関係は以後も続き、1882年には評論「エミール・ゾラ」を執筆(翌年に増補して刊行)。1888年にはゾラがレジオン・ドヌール勲章を貰えるように働きかけている。
 モーパッサン死去の際、ゾラは墓前で追悼演説を行うことになり、その際にも、モーパッサンの作品には「フランスの魂」が存在すると讃えている。


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ギィ・ド・モーパッサン


 モーパッサンは、私の愛する素朴な者、明晰で力強い者たちの系譜に属している。彼の成功はあまりに大きく、あまりに急速に訪れたが、それは彼が我々のフランス精神の最良のもの、すなわち観察の明晰さと文体の健康さをもたらしたという理由による。彼よりも心に訴える芸術家は存在しうるだろう。だが私は、彼以上に堅固で完全な短編小説家を知らない。彼は短編小説によって、民族のあらゆる特質が輝くような傑作を残したことになるだろう。――エミール・ゾラ


エミール・ゾラ「ギィ・ド・モーパッサン」、『エコー・ド・パリ』、1893年3月8日 付録モーパッサン特集
Émile Zola, « Guy de Maupassant », L'Écho de Paris, supplément « Guy de Maupassant », 8 mars 1893.

(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)


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