モーパッサン 「書簡の文体」

« Le Style épistolaire », le 11 juin 1888



(*翻訳者 足立 和彦)

「書簡の文体」掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF 解説 1888年6月11日、日刊紙『ゴーロワ』 Le Gaulois に掲載された評論。この年に刊行されたテッセ元帥の書簡集を引き合いに出しながら、17-18世紀の貴族社会に流通していた機知に溢れる書簡という文化を称えている。
 「礼儀正しさ」(1881年10月)や「繊細さ」(1883年12月)など、モーパッサンは時評文の中で繰り返し、旧体制時代の宮廷文化を賞賛し、それが失われた19世紀のブルジョア社会を批判している。民主主義、共和主義全盛の時代に、一貫して高踏的な姿勢を保持していたと言えるだろう。本論においても「愚かな中流層と気取った上京者」からなる新興階級は、拝金主義で教養に欠けると、手厳しい評価を下している。


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書簡の文体


 この気取った文字を書くと、高校一年の時の教師の顔を思い出さずにいられない。彼は私たちに、書簡の文体はフランスの栄光の一つであると繰り返し断言していたものだ。この有名な文体は他所には存在しないようだが、我々のところには、ボルドーのワインやシャンパーニュのワインのように、それが存在しているのである。しかしながら私は、一種の文学的フィロキセラ(1)がこの国民的特質の一部分をも荒廃させてしまった、そんな風に思いたい気分に駆られている。つまるところ、書簡の文体は我々のものであって、セヴィニェ夫人(2)がそれを完成に導いた、ということはあまりにも知られており、あまりにも否定し難く、あまりにも明白なので、私は、自分がセヴィニェ夫人のあの有名な書簡に熱狂させられることはないと、たとえ思っていてもそう打ち明けることはできないと感じるほどだ。もし私がそう告白するような悪趣味の持ち主だとしたら、多くの人が私のことを極めつけの変人と見なすだろう。
 したがって、書簡の文体を称えよう。それは親しかったり機知に富んでいたりする、一種の書き言葉によるおしゃべりであり、親しさの度合いによって毎週だったり毎月だったりと、時を空けて、育ちの良い人が礼儀という義務ゆえに友人に伝えなければいけない平凡な事柄を、楽しく表現することを可能にしてくれるものである。
 紙の上で友人に考えを伝えなければならないという必要性から考えて、その考えが品よく表現されれば一層価値があり、一層優美であることは疑う余地がない。かつて、我々の大革命に先立つ二世紀の間、人々は、しばしば気取って書かれた内密な手紙において、些細なことを言うためにとても苦労したものだった。誰もが、毎日、そして毎晩でさえ、誰かに手紙を書いていた。後に発見され、印刷された書簡はあまりにも多数でしかも長いので、どうして他のことをする時間が残っていたのか疑問に思えるほどだ。
 これらの書簡の大半が、せいぜいその時代の生活の細部について教えてくれるという以外に興味を惹かないとしても、それでも文通相手の性質や、扱われている主題の重要さゆえに高い価値を持つ手紙もたくさん存在する。我が国の歴史にこっそりと触れるすべての書簡は、国家の古文書の秘密の図書館のようなものを構成しており、我々はそこで、歴史がどのように作られるのかを詳細に学ぶ機会を与えられる。
 歴史家は、たっぷりした料理のように大事件を我々に提供してくれるが、書簡において、我々は政治、戦争、革命の裏面を学ぶことができる。
 この観点からすると、ランビュトー伯爵によって編纂されたテッセ元帥の書簡(3)を読むこと以上に、興味深く、面白いことはないだろう。テッセは書簡の文体の偉大な名手ではまったくないが、書く技術の恩恵を最も被ったうちの一人である。それというのも彼はなによりもまず宮廷人、マントノン夫人(4)の取り巻き、巧緻に長けた人物、戦争と宮廷の策謀家であったからで、戦場にも筆記用具を持参し、剣よりも頻繁に利用していたのだった。
 幸いにもランビュトー伯爵が我々に見せようと思ってくれたこれらの書簡のあちこちに見つかる、面白く、予想外で、滑稽で、陽気に淫らだったり真面目だったりする細部とは別に、この時代の男性が高貴な女性を相手にする時の調子がどのようなものだったかを知ると驚かされるが、もしも機知によってすべてが純化されていなかったなら、趣味がよいとはとても言えない類のものだろう。
 最も話題にすべきではないはずの事柄についてのたいへん大胆な冗談、最も生き生きとした挿話、そのうちの幾つかをランビュトー伯爵は削除しなければならなかったが、そうしたものは人をほほ笑ませるものの、最も威厳ある貴婦人でも不快にさせたりショックを与えたりすることなく、この壮麗な時代には、書簡における日常茶飯事として通っていたのである。
 実際、そうした事柄は、当時は雅びな言い回しと呼ばれたような、才気溢れる巧妙さをもって語られており、言葉の機知に富んだ優美さによって大胆さを覆い隠している。この世紀の大半の男女と同様に、テッセは特別な器用さを会得しており、大胆過ぎる冗談も通用させてしまうし、まずもってレトリックを跳ね回らせることで興味を惹きつけるのである。


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 言葉の軽やかなおかしみ、抜け目のないほのめかし、隠さなければいけないものを何も隠さずに「おお! なんということ、彼女は裸だ!」と言わせながらも、ヴェールの下で露わにされたこの裸体がさほどショックを与えることはない(というのもヴェールは存在し、最も驚くべきはこのヴェールであって、それほどに透けているのだ)踊り子の透明なスカートによって、思考は気を晴らされる。思考は、こうした言い回しによって陽気になり、こうした冗談を楽しみ、隠すためにあるかに見える上面のために、内側を見ることを受け入れるのである。
 こんにちの社交界において、かつてと同じように、女性たちを相手に生々しい事柄が堂々と語られていることは疑いない。だが、それを手紙に書くことができるとは思われない。なぜなら私の教師が断言していたように、手紙の文体はもう死滅してしまったからだ。
 フランスにおいては、陽気で淫らな冗談がいつでも愛されており、それは最も限定された上流社会においても市民権を得ている。それは洗練の証でさえあり、たいへん際どく大胆なものであってもフランス的機知を容認し、それを笑い、時には言葉にショックを受けるとしても、内容に機嫌を損ねたりはしないというこの社会の血統の印なのである。そこに、偉大な二世紀を生きた男女が我々に遺してくれた伝統がある。テッセ元帥を、大胆かつ慎重な宮廷人の典型として受け止めることができるだろう。
 確かに、我々の社会のように自然な冗談を笑う社会は、隣人であるイギリス人の社会のように笑わずに赤面する社会と比べて、より不道徳だという訳ではない。
 しかしながら、幾つかのフランス家庭の私生活において、この自由な気まぐれの伝統が弱められながらも続いているとしても、新興サロンの大半は、自由であるにせよないにせよ、あらゆる機知と無縁であることは確かである。共和国の偉人の中で最も機知に富む人物が名付けた「新しい階層(5)」は、伝統も読書習慣も持たない階層であり、重々しさを上品さと見なし、つまらなさを申し分のなさと思い込み、若いフランス社会を愚かな中流層と気取った上京者、魅力のない実業家、重々しい地方の政治家などのどろどろの混合物に成しおおせたのであり、彼らは自分の関心以外のことについて話さなければならない際には、大いに困惑するのである。
 疑いの余地なく、この者たちは、自分の見たことや考えたり感じたりしていることに関して、男友達や女友達に宛てて、機知に富んで深みのある言葉を書き送るような時間も趣味も持ち合わせていないだろう。一般的に彼らは「二足す二は四」だと考えるし、ジュールダン氏(6)とは違う形でそれを表現することができない。感覚に関しては、彼らはほとんど洗練させず、彼らの目はただ投機をうまくやり抜けるためだけにあり、それにしか関心がないために彼らの知性は塞がっているのだ。
 だが私が女性だったら、イヤリング以外にくれるもののない男を友人に持ちたくはないだろう。繊細な真珠や流れる石のようなダイヤモンドが大好きだとしても、愛情のあらゆるニュアンスを表現し、孤独で退屈な時間をやり過ごさせてくれるには、それでは不十分だと思うだろう。筆跡を見ただけで、巧みなお世辞、語られる物語、面白い挿話、陽気で優しい空想が約束されているような封筒を受け取りたいと思うだろう。そうしたものが行から行に渡って、私のために、私の気に入り、私を楽しませるために書かれているのだ。


***

 こんにち、最も有名で、最も知的で、もっとも卓越した男性のうちの何人が、友情から、恋心から、あるいはテッセ元帥のように単に宮廷人としての関心から、移りゆく日常生活の中で目にする様々な事柄を、そんな風に魅力的に語ることができるだろうか?
 そして私は付け加えよう。そうした手紙に対して、同じような調子で、同じように上品で気まぐれな順応力をもって返事を書くことができる女性が何人いるだろうか?
 前の二世紀の間のほとんどすべての著名人が、興味、魅力、文体に満ちた書簡を遺し、王女から成り上がりまで、ほとんどすべての当時注目されていた女性が、この書面による機知のつば競り合いにおいて、その時代の一流の作家たちに負けずに対抗していたことを思えば、我々は、私の高校一年時の教師のように、書簡の文体はもはや存在せず、何人かの貴族や麗しい貴婦人と一緒に、フランス革命によって殺されてしまったのだと結論づけざるをえないだろう。


『ゴーロワ』紙、1888年6月11日付
Le Gaulois, 11 juin 1888.
Guy de Maupassant, Chroniques, éd. Gérard Delaisement, Rvie Droite, 2003, t. II, p. 1172-1175.

(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)




訳注
(1) phylloxéra : フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)は、19世紀後半、ヨーロッパのブドウ畑に甚大な被害をもたらしていた。
(2) Mme de Sévigné : Marquise de Sévigné (1626-1696)、セヴィニェ侯爵夫人。若くして未亡人になった後、結婚した娘に宛てた約1500通の書簡によって名高い。
(3) Maréchal de Tessé : René de Froulay, comte de Tessé (1648-1725)、ルネ・ド・フルーレ、テッセ伯爵。軍人、外交官。1703年に元帥に任命された。モーパッサンが言及している書簡集は次のもの。Lettres du maréchal de Tessé à madame la duchesse de Bourgogne, madame la princesse des Ursins, madame de Maintenon, M. de Pontchartrain, etc, éd. Philibert Lombard de Rambuteau, Calmann Lévy, 1888.
(4) Mme de Maintenon (1635-1719):ルイ14世の寵妃。詩人スカロンと結婚。夫の死後、宮廷に入った。王妃の死後、王と秘密結婚をし、宮廷内で権力を振るった。
(5) nouvelles couches:1872年9月26日にストラスブールで行われた演説において、レオン・ガンベッタは政治における「新しい社会階層」« une couche sociale nouvelle »の登場について語った。以後、大ブルジョワジーと労働者階級とのあいだを占める「新しい階層」についての認識が普及する。
(6) M. Jourdain:モリエール『町人貴族』(1670)の主人公。第2幕第4場で、ジュールダン氏は哲学教師に雅びな恋文の書き方を教わるが、結局は元の散文に落ち着く。




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